CASE-3
KAWORU
僕の席から、彼の背中が見える。
その背中の主は、黒板を見て時折頚を傾げたり
ペンを回したりしている。
授業中、僕を振り返ることは一度もない。
気が付かないんだね。
僕がこうして、見ていることに。
初めて彼に会ったとき、彼は一人だった。
その目は誰も見てはいなかったし、誰にも興味を持っていなかった。
けれど、その何処かで誰かを強く求めていることは直に分かった。
誰かに愛されたがっている、誰かを愛したがっている。
どうしてだろう。
自ら手を延ばせば、それは容易く手に入れられるというのに。
始まりは、そんな彼に対する興味だったのかも知れない。
けれど、それが別の形になるまでにそう時間はかからなかった。
当たり前のように、僕もそれを認めてしまったし。
その日、
いつもと様子が違うことには、直に気が付いた。
僕はそれ程鈍くは無いつもりだ。
けれど、原因が思い当たらない。
「・・・・・・解らないな・・・・・」
僕は思わず、口に出した。
本当だったら、今ごろシンジ君とこの部屋にいたはずだった。
この部屋に誘って、特に理由なく断られたのはこれが初めてだ。
嫌われるようなことをした記憶はない。
でも、今日の彼は何時に無くよそよそしかった。
気になる。
時計を見ると、彼と別れて30分程経っていた。
もう、とっくに家に帰り着いているはずの時間だ。
電話に手を延ばす。
ボタン一つ押せば、彼の家にコールが出来る。
でも、電話をかけて何を話す?
今日、家に来なかった理由を問いただしてみる?
馬鹿らしいな。
僕は受話器を置いた。
こんなことで、悩んでいるなんて僕らしくない。
僕らしくない・・・・・か、
じゃあ、どういう僕が僕らしいんだろう。
周りの人達の見ている僕と、僕自身が思っている僕では随分違う。
それに気が付いたのは、もう大分昔のことだ。
たいして驚きはしなかった。
そんなものなのだろう、と割合自然に受け入れてしまった。
彼は、僕をどういう人間だと思っているんだろうか。
そして、僕は彼をどういう人間だと思っているんだろう。
きっと、僕が思っている彼と彼自身とでは随分違うはずだ。
だから、彼を知りたい。
本当の彼を、誰も知ろうとしない本当の彼を。
僕は贅沢なのかも知れない。
「・・・・・・とりあえず、課題でもやろう・・・・・・」
気を取り直した僕は鞄を開き、テキストを取りだした。
本当はシンジ君と一緒にやるつもりだったんだけど。
テキストを広げ、ノートを開いたとき、何かがひらりと舞い落ちた。
薄水色の封筒。
細いペンで書かれた文字。
「・・・・・・・・あ、そういえば・・・・・・」
僕はそれの存在をすっかり忘れていた。
封筒を拾い上げ、じっと見詰める。
封はされたまま。
当たり前だけどね。
僕が開くわけにはいかない。
封筒をライトに透かしてみる。
薄い紙が素材になっているそれは、そうすれば羅列する文字が見えた。
内容までは、分からない。
「・・・・・・・・・・・」
僕はそれを、机の上に置く。
どうすればいいんだろうね、これは。
頬杖をついて、溜め息をついた。
本当は意図的に忘れていたんだ。そうしたら、本当に忘れてしまっていた。
よりにもよって、この僕に渡すなんて。あの子もどうかしているよ。
仲の良い友達、そう思ったんだろう。
でも、それは不正解。仲の良い友達は最も不正解だ。
少なくとも、僕にとっては。
友達。そんなものに、僕はなれない。なるつもりもないけれど。
僕は再び、水色の封筒に視線を落とした。
さて、本当にどうしたものか。
このまま捨ててしまっても、僕としては構わないんだけれど。
それでは僕の人格というものを疑われかねない。
自分に不利なことはしない主義だ。
なら、正直に渡そうか。それが普通だけれどね。
「・・・・・・・・・・」
僕はとりあえず、課題を片付ける事にした。
考えても答えは出そうにもない。
いまのところ・・・・
誰もいない教室。
当たり前だわ、部活をやっている人間は部活に行くし、そうでなければ
とっとと帰る。何にもないのに残っているのは、シンジぐらいよね。
シンジぐらい・・・・・
そう言えば、そのシンジすらいない。
いつもなら、カヲルを待ってるシンジが残っているはずなんだけど。
机に鞄が無いところを見ると、帰ったようね。
私は特に気にせず、帰り支度を始める。
ヒカリが図書室で待っているから。
鞄を持って、教室を出ようとした時、私は意外なものを目にしてしまった。
思わず足が止まる。
あのカヲルが、
あのいつも冷静な振りを得意としているカヲルが、明らかに困惑している。
信じられない。驚きだわ。
授業中のアレはともかくとして。
今のカヲルの顔は、本当に滅多なことじゃお目にかかれない。
理由は、一つしかないじゃない。シンジに先に帰られたからだわ。
ただそれだけのことなのに。
やっぱり、二人の間に何かあったんだ。間違いない。
面白いじゃない。私は、少しカヲルをからかう気になった。
「・・・・・・・ねえ、あんた、シンジに何かしたの?」
「・・・・・・え?」
初めて、私の存在に気が付いたとでも言うような顔をするカヲル。
自分でも変な質問だと思ったけれど、シンジが何かするとは思えない。
やったとしたら、こいつ。
カヲルが曖昧な笑いを浮かべた。
「・・・・・・押し倒したんだよ・・・・・・」
「・・・・・ええ?!」
私は思わず、声を上げてしまった。
「お・・・押し倒したって・・・・・ちょっと・・・・」
私の頭の中がパニックを起こす。
必死に言葉を探して、口をぱくぱくさせてしまった。
幾ら何でも、いきなりな展開。確かに何かしたのかと聞いたけど。
押し倒した・・・・押し倒したって事は・・・・
それっていうのは、つまり・・・・
「それっていうのは・・・・あんた、シンジを・・・・」
私は唾を飲み込んだ。喉が渇いて、頭の中が混乱して、くらくらしてきた。
「ふふふ、やだな・・・・・何を考えてるのさ、体育の授業の時に蹌踉けてね、
たまたま、そこにいたシンジ君を押し倒してしまったんだよ。」
カヲルが意地悪く言う。
私は耳まで赤くなるのを自分で感じた。
変な汗が噴きだしてくる。
こ・・・・こいつ・・・・!
私は言葉を無くして、カヲルを睨み付けた。
「何を考えたのか知らないけれど、君の百面相は愉快だね、アスカ君」
「う・・・・っ・・・・・」
なんて奴!なんて奴!信じられない!
「からかうのもいい加減にしてよね、まったく!
何考えてんのって言いたのはこっちの方だわ!!」
私はハンカチを取出し、額の汗を拭いた。
「シンジ君のこと、」
カヲルは何の躊躇いもなくそう言ってのけた。
手からハンカチが落ちる。
私はそれを聞いて、すっかり気が抜けた。ほんと、呆れてものも言えない。
普通そんな事言う?全く、馬鹿馬鹿しくってやってられないわ。
「・・・・・・あんた、ばかぁ?!」
カヲルは肩を竦めて見せた。
そして、急に真面目な顔つきをする。
「そうかもね、僕は一日中シンジ君の事を考えているんだ。」
ちょっと、やめてよそんな顔してそんな事言うの。
男のくせに、みょーに綺麗な顔しちゃって。
「・・・・・・あんたね、自分で何言っているのか解ってるの?」
「十分解ってるつもりだよ。
僕はね、シンジ君が好きなんだ、友達なんかじゃなく。」
私は挑むようにカヲルを見た。こいつは自分の気持ちを十分解ってる。
だから、始末に負えない。だって、シンジを好きな自分を変だと思ってないのよ。
私だって、そう易々と認められなかった”好き”という感情。
同性同士だっていうのにさ。ばか正直な奴。
「・・・・・・知ってたわよ、そんなこと、」
「そうなのかい・・・・・?僕は、そんなに露骨だったかな。」
何を言われても、少しも怯まない。
私は身近な机に鞄を置いた。
窓から西日が差し込んで、カヲルを照らした。
カヲルの髪がオレンジに光っている。
何でそんなに、自信あり気なの?どっから、そんな自信が湧いていてくるのよ!
思わず、私は言ってしまっていた。
「・・・・・・何で、何でシンジなのよ、よりにもよって・・・・・
何も、シンジじゃなくったていいじゃない。
あんただったら、相手はいくらでもいるでしょ!」
「・・・・・・アスカ君・・・・・君、・・・もしかして、」
「あ・・・・」
私、今、とんでも無いこと口走った。
どうしよう、ばれた・・・・カヲルに知られてしまった。
私の気持ちを・・・・
「・・・・もしかして、僕の事好きなの?」
「ばっ!ばっかねっ!何でこの私があんた何かを好きにならなくちゃいけないのよ!
冗談じゃないわよ!」
「解ってるよ、君が好きなのはシンジ君だろ。とっくの前から知っているさ、」
「えっ・・・・・・・」
何よ、それ。どういうこと?前から知っていたですって?!
私は自分でも今までに無いくらい、動揺している、と思う。
「顔にね、出るんだよ。アスカ君の場合。」
「嘘・・・・・」
「多分、君自身がシンジ君を好きなことに気が付くよりも前に
僕の方が君の気持ちに気が付いたと思うけど・・・・」
何を言っているのこの男は・・・・・
私よりも先に、私の気持ちに気が付いたですって?!
「な、なによそれ・・・・勝手なこと言わないでよね、私がシンジを
好きですって?冗談じゃないわよ、あんなやつ!」
私はカヲルの言葉を思いっきり、否定した。
「・・・・・違うのかい?僕はてっきりそうだと思っていたけど・・・・・」
カヲルが意味あり気な笑を浮かべた。
私は言葉に詰まってしまった。そうよ、カヲルの言う通り。
シンジが好きなのよ。
でもそれを私の口からは言えない。だって、これはシンジの口から
言わせなければ意味がないものだもの。
「・・・・・・・こればかりは譲れないよ、アスカ君。」
カヲルの声色が変わる。射るような視線。
彼も、本気なんだ。
でも、その台詞は私のものよ。私は、怯まずにカヲルを睨み返す。
「狡いわね・・・・・、カヲルは狡いわよ。」
「何故?」
「だって、そうじゃない、あんたは友人面して、私なんかじゃ絶対に
入ってゆけないようなシンジの領域にどんどん入っていって・・・・
そこで、急に掌を返すように恋愛感情を持ちだすんでしょ?」
「・・・・・・そうだよ、いけないかい?君がどう思おうとそれが
僕のやりかただからね。でも、僕に言わせれば君だって、狡いさ。」
「なんでよ・・・・」
「アスカ君は女性じゃないか。その上、魅力的だ。
それだけで、無条件にシンジ君から好かれることが出来る。
僕では、そうはいかない。」
カヲルはふぃと背中を向けると、自分の机から鞄を取り上げた。
そして、私の前を通り過ぎてゆく。
私は黙って、それを見送る。すると、カヲルが扉の処で急に振り向いた。
「・・・・・アスカ君がライバルにならなくって、幸いだよ。
君が相手だと、僕もかなり苦戦しただろうからね。」
カヲルはそう言うと、教室から出ていった。
「な・・・・なんですって・・・・・」
なによ!あいつ!絶対今のはわざとだわ!
私だって、譲れないのに!
考えれば考えるほど、腹が立って私は思わず机を蹴っ飛ばした。
もうっ!超ムカツクわ!あの男!シンジラレナイ!
よくもあれだけ言いたいこと言ってくれたわね!
更に私は、鞄を掴むとそれを何度も机に叩き付けた。
「むかつく!むかつく!本当にむかつくわ!」
こんな形で逆襲されるとは思ってもみなかった。
「・・・・・・アスカ・・・・・・どうしたの?」
「!・・・・ヒカリ・・・・・」
気が付くとヒカリが立っていた。
「あんまり遅いから、どうしたのかと思って・・・・・なんかあったの?」
「・・・・・・・ちょっと、・・・・ね、」
私は暴れて乱れた髪を手櫛で整えると、直に平静を装った。
ほんと、まいったわね。
でも、この時点でこの後にとんでもない展開が待っていようとは
私も努努思いもしなかった。